サクセス・ハッピーロード・自己啓発専科

日常生活やビジネスにおける処世・仕事術やヒント等を通して幸せ体質になることを目指している自己啓発・開運ブログです。

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「商いは牛のよだれ」について

「商いは牛のよだれ」(あきないはうしのよだれ)趣旨説明
商売は、牛のよだれが細く長く切れ目なく垂れ続けるように、気長に辛抱強くコツコツと続けることが大切である、という意味のことわざです。一度の大もうけや短期的な利益を焦って追い求めるのではなく、たとえ規模が小さくても途切れず長く続ける姿勢を尊ぶ教えです。「早く利益を得ようとあせってはならない」という戒めも含まれます。補足たとえのポイント:牛のよだれは「細く・長く・切れ目なく」続く点が重要です。商売も派手さや一気の大成功より、細くても持続することを重視します。
由来・歴史:江戸時代中期の浮世草子『日本新永代蔵』(1713年)に「商は牛の涎、万事せかぬが大器なりと」と既に見られます。関西(特に上方)の商人の間で広く用いられ、上方いろはかるたにも採用されていました。近江商人の間でも「商いは牛のよだれのごとく」と伝えられ、一代で財を成すより数代にわたって継続することを高く評価する考え方と結びついています。
類義・類似表現:「商人は牛の涎」
「急いては事を仕損じる」
英語の類似:「Keep your shop and your shop will keep you.」(店を守れば店があなたを守る)や「Slow and steady wins the race.」

現代的意義:サステナビリティや長期経営、顧客との信頼関係の継続を重視する考え方と通じます。

実践目先の利益より継続を優先する
一時的な大ヒットや無理な拡大より、毎日の営業・サービスを途切れさせないことを意識する。
小さくても途切れない流れを作る
少額の注文やリピーターを大切にし、顧客との関係を細く長く育てる。
焦らず、失敗を織り込んで続ける
ビジネスに全勝はない。うまくいかない時期があっても諦めず、地道な努力を続けることでライバルが自然に減り、道が開けることが多い。
長期視点で信用を積み重ねる
品質・対応・約束を守り、信用を資産として育てる。近江商人の「三方よし」(売り手よし・買い手よし・世間よし)の精神とも相性が良い。
具体的な行動例  毎日決まった営業活動や顧客フォローを習慣化する  
無理な値下げや過剰な在庫を避け、安定した利益を積み重ねる  
「今日は儲からなくても、明日につながる仕事」を意識する

名言・関連表現「商売は牛のよだれ。牛歩のごとく一歩ずつ。」
(奈良県の江戸時代から続く食品メーカーの家訓として伝えられる言葉)
「商は牛の涎、万事せかぬが大器なり」
(『日本新永代蔵』より)

 

 


関連する商人の心得として、「細く長く」を重視する近江商人の言葉や、「継続は力なり」といった普遍的な格言がよく引き合いに出されます。

要するに、商売の本質は「細く長く途切れない努力」にあるという、非常に実践的で現実的な教えです。派手さより持続力を信じる姿勢が、長く続く商売の秘訣と言えます。

※近江商人の「三方よし」の具体例「三方よし」とは、「売り手よし・買い手よし・世間よし」の精神で、商売が当事者双方だけでなく、地域社会全体の利益にもつながることを重視した近江商人の商いの心得です。言葉自体は昭和後期に研究者(小倉榮一郎氏ら)が整理・標語化したものですが、江戸時代の家訓や行動にその内容が明確に表れています。1. 原典に近い家訓の例(思想の核心)中村治兵衛宗岸(1754年)の「宗次郎幼主書置」
五個荘(現・東近江市)の麻布商が、15歳の養嗣子に残した家訓です。
「たとえ他国へ商いに出ても、自分のことだけを考えず、その国のすべての人が商品に満足するよう心がけ、高利を望まず、天道のめぐみ次第と考え、行く先の人々を大切にせよ」と記されています。
これが「三方よし」の最も直接的な原典とされ、売り手の利益を抑えつつ、買い手と地域(世間)を優先する姿勢を示しています。2. 歴史的な実践例正野玄三(日野商人)
医学知識を生かして薬を調合・卸売し、北関東などで多くの人命を救いました。財力は当時3000両程度と中程度でしたが、1830〜1840年代の近江商人長者番付では最高位に評価されました。単なる富より「世間のためになった」点が重視された典型例です。
中井源左衛門(日野商人)や日野商人の社会貢献
家訓で「陰徳善事」(目立たない形で人のためになること)を強調。天保の大飢饉時に仙台藩の農地復旧に貢献し、地元民から慕われ神社に祀られた例もあります。出店先で道路改修、貧民救済、寺社・学校への寄付を積極的に行い、信頼を得て長期の商売を可能にしました。
その他の地域貢献  勢多橋の架け替えへの献金・材木寄付  
東海道草津宿の常夜灯設置と油代基金の創設  
植林や砂防工事への多額の寄付(兄弟で総額約6万円規模の例も)
これらは「世間よし」を具体的に実現し、出店先での信用を築く行動でした。幕末の一揆・打ちこわしで近江商人の店がほとんど襲撃されなかったのも、こうした信頼の結果とされます。

初代伊藤忠兵衛
「商売は菩薩の業。売り買い何れをも益し、世の不足をうずめ、御仏の心にかなうもの」と語りました。麻布の持ち下り商いから始め、地域の需給を調整し、双方と社会に利益をもたらす商売を実践。これが伊藤忠商事・丸紅のルーツです。

3. 現代企業への継承例近江商人の流れを汲む企業や理念を掲げる企業が、実践を続けています。企業・事例
具体的な実践のポイント
伊藤忠商事
企業理念を「三方よし」と明示。創業以来の精神を現代のCSR・サステナビリティに繋げ、売り手・買い手・社会のバランスを重視した経営を展開。
西川(布団の西川)
八幡商人ルーツの老舗。品質重視の商品で顧客満足を高めつつ、長年の信頼と社会貢献を継続。
ツカキグループ
「売り手よし・買い手よし・世間よし」を企業理念に掲げ、後継者・従業員教育で継承。日常の経営に浸透させている。
その他
ワコール、高島屋、東レ、アイデス(のりもの玩具)など。地域雇用や社会課題解決を意識した事業を展開する例が多い。

まとめ近江商人は他国で商売をするため、地元民からの信頼なしには長く続けられませんでした。そのために「高利を貪らず、顧客と地域を大切にする」行動を徹底しました。結果として、信用が積み重なり、何代にもわたる持続的な商売が可能になったのです。現代ではESG経営やステークホルダー資本主義の先駆けとしても再評価されています。歴史的な家訓・寄付・人命救助の例と、伊藤忠などの現代企業の理念継承が、最もわかりやすい具体例です。

※江戸時代の商人の心得は、家業の永続と繁栄を最優先に据え、短期的な利益追求を戒め、勤勉・倹約・正直・信用を重視したものでした。商家では「家訓」(かきん)や「店法」(てんぽう)として子孫や奉公人に伝え、日常の商いの規範として機能しました。儒学・仏教・神道の影響を受けつつ、商人自らが「商人の道」(商人道)を確立した点が特徴です。武士の「武士道」に対し、商人は実務的で社会貢献を意識した倫理観を育てました。主な心得・原則始末してきばる(倹約と勤勉)
「始末」は無駄を省くこと。単なるケチではなく、本当に良いものを長く使い、長期視点で考えること。「きばる」は本気で取り組むこと。
無駄な遊興・奢侈を避け、質素に暮らしながら商売に励むことを徹底しました。
正直・堅実・信用
高利を貪らず、約束を守り、正直な取引を行う。信用こそが最大の資産であり、浮利(一時的な利益)や投機を戒めました。
「商いは牛のよだれ」のように、細く長く続けることを理想としました。
算用・才覚
帳簿を正確に付け、計算を重視する(複式簿記の先駆けも近江商人に見られる)。才覚を発揮して需給を調整し、世の不足を埋める役割を自覚しました。
陰徳善事と社会貢献
人知れず善行を行い、地域や縁のある人々に寄付・救済をする。出店先の道路改修や貧民救済、寺社・学校への寄付などが典型です。
共存共栄の精神(特に近江商人)
後世に「三方よし」(売り手よし・買い手よし・世間よし)とまとめられた考え方。自分だけが儲かるのではなく、相手と地域社会にも利益が及ぶ商いを重視しました。

代表的な家訓の具体例中村治兵衛宗岸(近江・五個荘、1754年)「宗次郎幼主書置」
「他国へ商いに出ても、自分のことばかり考えず、その国の人々が皆満足するよう心がけ、高利を望まず、天道のめぐみ次第と謙虚に、行く先の人を大切にせよ」。三方よしの原典とされる。
中井源左衛門(日野商人)「金持商人一枚起請文」
勤勉・倹約・正直・堅実を強調し、「陰徳善事」を勧める。酒宴遊興・奢りを禁じ、始末第一で商売に励むことを説く。
西川利右衛門(八幡商人)
「好富施其徳」——富を得るのは良いが、それに見合った徳(社会貢献)を施せ。
その他の商家  住友家:「いやしくも浮利に走り、軽進すべからず」(目先の利益を追うな)。  
大丸(下村家):「先義後利」(義を先にして利を後にせよ)。  
三井家などでも勤倹・家業専念・投機禁止が共通。

石田梅岩の石門心学も広まり、「まことの商人は先も立ち、我も立つことを思うなり」(相手も自分も立つ)と、相互利益を説きました。全体の特徴と意義商人は身分制度上最下位と見られがちでしたが、家訓を通じて「世のため人のため」の役割を自覚し、信用を基盤に長期経営を実現しました。結果として、多くの商家が何代も続き、近代企業の源流(伊藤忠・丸紅・高島屋・西川など)となりました。これらの心得は、現代のCSR・ESG・ステークホルダー資本主義やサステナビリティ経営の先駆けとしても再評価されています。

「親指の法則」とは?

☆彡親指の法則

英語の慣用句に「親指の法則(ルール・オブ・サム:Rule of Thumb)=親指で計ること、大ざっぱなやり方、経験から得た方法」というのがある。

 

正確な理論やデータからではなく、経験によって物事のおおよそを判断する際によく用いられている法則である。

 

 たとえば2011年6月、原油相場を抑制するため、IEA(国際エネルギー機関)が加盟各国の戦略石油備蓄6000万バレルを放出すると突然発表し、その影響で原油相場は1割近くも急落した。

 

 ある専門家は、これがアメリカのガソリン小売価格にどう反映するかについて聞かれた際、「親指の法則」と断り、1バレル(42ガロン)当たり1ドル下落すれば、市場でのガソリン価格は1ガロン(約3.8リットル)当り2セント下がるだろうと説明した。

 

 厳密に計算すれば多少の違いはあるかもしれないが一般の人にわかりやすいように、過去の経験からこの法則を用いたのである。

 

 事実その後、原油価格は1バレル10ドルも下落した。

 

それに伴ってガソリン小売価格は1ガロン20セントも下がった。

 

 「親指の法則」の語源には、様々な説があるがそのうち最も有力なのはイギリスの木工職が手の親指を使って物を測ったことに由来するというものだ。

 

 というのは彼らの親指の爪の付け根の幅の平均値を、1インチ(2.54cm)として、ものを測るときの尺度として使っていたからである。

 

その他有力な説は農業に由来するもので種を適当に捲いたり、植え替えするる際に、深さを一定にするために親指を土に差し込んで、その深さを測ったからだとされている。

 

 このように、おおよその長さや深さを測る基準として、親指は昔から用いられていたのである。

 

その他の説としては昔のイギリスで夫が妻を叩く時に許された棒の太さが「親指まで」だったことからという説もあります。

 

親指の法則は瞬時に判断するためのアバウトな基準となるので便利です。

しかし、時には果たして本当にそうなのかと、立ち止まり検証することも大切なことです。


以上は烏賀陽正弘著『必ず役立つ!「○○の法則」事典』より一部抜粋&加筆


烏賀陽正弘
烏賀陽 正弘(うがや まさひろ、1932年 - )は、日本の現在、国際ビジネス・コーディネーター・ライター・翻訳家。ジャーナリスト烏賀陽弘道の父。

フィリピン・マニラ生まれ。父親の仕事の関係で、生後すぐアメリカ合衆国に渡り、幼少期をニューヨークとロサンゼルスで過ごす。京都大学法学部卒業。東レ入社、国際ビジネスに従事。帰国後、同社マーケティング開発室長などを経て独立。

著書
男だけの英語(日本経済新聞社 1977年5月)
ここがおかしい日本人英語(日本経済新聞社 1979年4月)
読むだけで英語に強くなる このユーモアがわからないと商売はできない(潮出版社 1986年)
ビジネスのための完璧Eメール英語(潮出版社 2000年4月)(潮ライブラリー)
驚異のアクション英会話(学習研究社 2002年12月)
ユダヤ人金儲けの知恵 ユダヤ人のように考えろ!(ダイヤモンド社 2004年4月)
痛快!アメリカン・ジョーク 困った時に必ず役立つユダヤ人の知恵 ビジネスマン必携(五月書房 2004年12月)「世界がわかるアメリカ・ジョーク集」(改題、三笠書房(知的生きかた文庫))
ユダヤ人ならこう考える! お金と人生に成功する格言(PHP新書 2005年1月)
超常識のメジャーリーグ論(PHP新書 2006年7月)
「自分が会社になる!」という生き方(ごま書房 2007年10月)
頭がよくなるユダヤ人ジョーク集(PHP新書 2008年3月)
ユダヤ人の「考える力」苦難に耐え、克服する三千年の知恵(2010年8月 PHP研究所
必ず役立つ!「○○の法則」事典(2012年5月 PHP研究所

 

★経験則 (けいけんそく)
経験則(けいけんそく、独: Erfahrungssatz、英: Rule of thumb)とは、実際に経験された事柄から見いだされる法則のことである。目の子算(メノコザン)


簡単に言えば、確固たる実験結果が出ているというものではなく、長年の経験から導き出された
経験則というのは、状況が普段とあまりに変わると無効になってしまうことはある。

日常の経験から帰納された事物の因果関係や性状についての知識あるいは法則。裁判官が証拠から事実を認定するに際して不可欠の手段である。

◆例
(日本での天気)夕焼けならば翌日は晴れ。
「郷に入れば郷に従え」
(神経トレーニング)手・指の巧みさをトレーニングすることは高齢者の神経筋機能の改善に有効
アメリカの先進企業の経験則 -(人間は皆、自分にとって都合が悪いことは少なく伝えようとしてしまうので)上場企業では事件や事故が発生したら、まず30人から情報収集しなければならない。
パワーリレーにおいては接点の径を小さくすると電気的耐久性が低下する。
機関紙は集団的組織者(レーニン主義における組織論)
ハインリッヒの法則
ゴールの法則
グロッシュの法則、ビル・ジョイの法則、ムーアの法則、ポラックの法則
パレートの法則
三分の一の法則
グラスマンの法則 (色彩)
ホートンの法則
8秒ルール
ハロー効果
リピンスキーの法則

《英語》
例文
as a rule of thumb (大ざっぱに言うと, 大体.)

Experienced gardeners work by rule of thumb.
(熟練した造園家は経験から得たやり方で仕事をする.)

As a rule of thumb, you should plan on one pound of beef for every two guests.

(ごく常識的には、客2人に対して牛肉1ポンドを用意すべきだろうね。)

As a rule of thumb, the swap partition should be about double the size of system memory (RAM).

経験からスワップサイズはメインメモリの 2 倍というのが一般的です。

She had no rule of thumb about it, but she got it right every time.

彼女はそのことに関して何の予備知識もなかったのに、いつもきちんと理解した。

民主主義と国民の良識

4月9日 民主主義と国民の良識

民主主義の国家として一番大事なものは、やはりその民主主義を支えてゆくにふさわしい良識が国民に養われているということでしょう。さもなければその社会は、いわゆる勝手主義に陥って、収拾のつかない混乱も起こりかねないと思います。

ですから、国民お互いがそれぞれに社会のあり方、人間のあり方について高度な常識を養っていかなければなりません。国民の良識の高まりという裏付けがあってはじめて、民主主義は花を咲かせるのです。民主主義の国にもし良識という水をやらなかったならば、立派な花は咲かず、かえって変な花、醜い姿のものになってしまうでしょう。

 

人生は一度だけ、でもね リセットは何度でもOK♪~ 楽しまなくっちゃ♪~


Good Luck!! 幸運を祈ります! おきばりやす。


以上は松下幸之助著『一日一話』より一部抜粋&加筆

 

松下幸之助のプロフィール
松下 幸之助(まつした こうのすけ、1894年〈明治27年〉11月27日 - 1989年〈平成元年〉4月27日)は、日本の実業家、発明家、著述家。
パナソニック(旧社名:松下電気器具製作所、松下電器製作所、松下電器産業)を一代で築き上げた経営者である。異名は「経営の神様」。
その他、PHP研究所を設立して倫理教育や出版活動に乗り出した。さらに晩年は松下政経塾を立ち上げ、政治家の育成にも意を注いだ。
小学校 4年で中退,大阪に奉公に出る。
1910年大阪電灯の見習い工員となり,関西商工学校夜間部で学ぶ。1918年独立して小さなソケット製造所の松下電気器具製作所を設立。
1923年自転車用電池ランプを開発,その後も電気アイロン,ラジオなどを開発してしだいに事業を拡張し,
1933年大阪の門真に本店,ラジオ工場,乾電池工場を設立。このとき早くも事業部制を取り入れている。1935年株式会社に改組して松下電器産業(2008年パナソニックに改称)を設立。
第2次世界大戦中は軍需生産も行なったが,戦後は民需に転換。
1952年オランダのフィリップスと提携し合弁会社松下電子工業を設立。独特の経営理念と経営手腕により事業を飛躍的に拡充させ,業界随一の販売力を誇るにいたった。傘下に数多くの子会社,関連会社があり,それら企業の社長,会長などを務めたが,
1973年松下電器産業の会長を辞任して経営の第一線から身をひいた。
1946年 PHP研究所,1979年松下政経塾創設。
◆栄典・栄誉
位階勲等 - 正三位勲一等旭日桐花大綬章(それ以前に、勲一等瑞宝章紺綬褒章藍綬褒章)。
爵位 - マレーシアタン・スリ(伯爵相当)。
その他、オランダ経済提携親善功績章受章。
創設に関わった賞としては「日本国際賞」など。
称号 - 和歌山市名誉市民(1960年)、門真市(初)名誉市民(1964年)、明日香村名誉村民(1974年)、早稲田大学名誉博士(Doctor of Laws)、同志社大学名誉学位
生誕和歌山県海草郡和佐村千旦ノ木(現:和歌山市禰宜
死没1989年4月27日(94歳没)大阪府守口市
国籍 日本
職業 創業者松下電器産業, 実業家、発明家
配偶者 むめの
子供 幸子(長女)
親戚
松下正治(実業家、幸子の夫)
松下正幸(パナソニック副会長、孫)
松下弘幸(レーシングドライバー、孫) 代表取締役会長 スウィフト・エンジニアリング, スウィフト・エックスアイ
井植歳男三洋電機創業者、むめのの弟)
主著
詳しくは松下幸之助.comを参照。
発行部数は、特記なきものはPHP研究所の発表による全てのバージョンの累計部数。出版社と発行年月は、最初に出版された際のものを記載。一部の書籍は後に他社から出版されている。
PHPのことば』(PHP研究所甲鳥書林、1953年4月) - 一般向けで初の著作
『私の行き方 考え方』(甲鳥書林、1954年6月) - 52万部
『仕事の夢・暮しの夢』(実業之日本社、1960年2月) - 29万部
『物の見方 考え方』(実業之日本社、1963年4月) - 86万部
『なぜ』(文藝春秋、1965年5月) - 31万部
『若さに贈る』(講談社、1966年4月) - 34万部
『道をひらく』(PHP研究所、1968年5月) - 520.0万部。カラーテレビの景品として頒布された大阪万博松下館タイムカプセルの模型にも、数cm角の豆本にされ内蔵されている
『一日本人としての私のねがい』(実業之日本社、1968年10月) - 32万部
『思うまま』(PHP研究所、1971年1月) - 30.6万部
『その心意気やよし』(PHP研究所、1971年7月) - 35.6万部
『人間を考える―新しい人間観の提唱―』(PHP研究所、1972年8月) - 26.0万部。幸之助は書き終えたとき「自分は結局このことが言いたかったのだ。自分の考え方の根本はこれに尽きる」とさえ思った
『商売心得帖』(PHP研究所、1973年2月) - 90.3万部
『経営心得帖』(PHP研究所、1974年7月) - 46.9万部
『社員稼業』(PHP研究所、1974年10月) - 26.1万部
『崩れゆく日本をどう救うか』(PHP研究所、1974年12月) - 62.1万部道は無限にある―きびしさの中で生きぬくために―』(PHP研究所、1975年5月) - 38.2万部指導者の条件』(PHP研究所、1975年12月) - 99.6万部
『素直な心になるために』(PHP研究所、1976年9月) - 68.1万部
『私の夢・日本の夢 21世紀の日本』(PHP研究所、1977年1月) - 31.2万部
『続・道をひらく』(PHP研究所、1978年1月) - 32.8万部
『実践経営哲学』(PHP研究所、1978年6月) - 45.5万部
『決断の経営』(PHP研究所、1979年3月) - 25.4万部
『人を活かす経営』(PHP研究所、1979年9月) - 32.3万部
『経営のコツここなりと気づいた価値は百万両』(PHP研究所、1980年3月) - 28.2万部
『社員心得帖』(PHP研究所、1981年9月) - 58.6万部
『人生心得帖』(PHP研究所1984年9月) - 54.6万部
『人生問答』(上・中・下)(共著:松下幸之助池田大作潮出版社

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「仕事はやればやるほど味が出てくる」松下幸之助の一日一話

9月19日 仕事を味わう 松下幸之助

私はどんな仕事であれ、ほんとうにそれが自分に適したものかどうかを見きわめるのは、それほど容易なことではない、仕事というものは、もっともっと深いというか、味わいのあるものだと思います。

最初はつまらないと思えた仕事でも、何年間かこれに取り組んでいるうちにだんだんと興味が湧いてくる。そしていままで知らなかった自分の適性というものが開発されてくる。そういうことも仕事を進めてゆく過程で起こってくるものです。

つまり、仕事というものはやればやるほど味の出てくるもので、辛抱をして取り組んでいるうちに、だんだんと仕事の味、喜びといったものを見出していくことができるのだと思います。

 

松下幸之助著一日一話より

 

松下幸之助のプロフィール
松下 幸之助(まつした こうのすけ、1894年〈明治27年〉11月27日 - 1989年〈平成元年〉4月27日)は、日本の実業家、発明家、著述家。
パナソニック(旧社名:松下電気器具製作所、松下電器製作所、松下電器産業)を一代で築き上げた経営者である。異名は「経営の神様」。
その他、PHP研究所を設立して倫理教育や出版活動に乗り出した。さらに晩年は松下政経塾を立ち上げ、政治家の育成にも意を注いだ。

小学校 4年で中退,大阪に奉公に出る。
1910年大阪電灯の見習い工員となり,関西商工学校夜間部で学ぶ。1918年独立して小さなソケット製造所の松下電気器具製作所を設立。
1923年自転車用電池ランプを開発,その後も電気アイロン,ラジオなどを開発してしだいに事業を拡張し,
1933年大阪の門真に本店,ラジオ工場,乾電池工場を設立。このとき早くも事業部制を取り入れている。1935年株式会社に改組して松下電器産業(2008年パナソニックに改称)を設立。
第2次世界大戦中は軍需生産も行なったが,戦後は民需に転換。
1952年オランダのフィリップスと提携し合弁会社松下電子工業を設立。独特の経営理念と経営手腕により事業を飛躍的に拡充させ,業界随一の販売力を誇るにいたった。傘下に数多くの子会社,関連会社があり,それら企業の社長,会長などを務めたが,
1973年松下電器産業の会長を辞任して経営の第一線から身をひいた。
1946年 PHP研究所,1979年松下政経塾創設。

◆栄典・栄誉
位階勲等 - 正三位勲一等旭日桐花大綬章(それ以前に、勲一等瑞宝章紺綬褒章藍綬褒章)。
爵位 - マレーシアタン・スリ(伯爵相当)。
その他、オランダ経済提携親善功績章受章。
創設に関わった賞としては「日本国際賞」など。
称号 - 和歌山市名誉市民(1960年)、門真市(初)名誉市民(1964年)、明日香村名誉村民(1974年)、早稲田大学名誉博士(Doctor of Laws)、同志社大学名誉学位

生誕和歌山県海草郡和佐村千旦ノ木(現:和歌山市禰宜
死没1989年4月27日(94歳没)大阪府守口市
国籍 日本
職業 創業者松下電器産業, 実業家、発明家
配偶者 むめの
子供 幸子(長女)
親戚
松下正治(実業家、幸子の夫)
松下正幸(パナソニック副会長、孫)
松下弘幸(レーシングドライバー、孫) 代表取締役会長 スウィフト・エンジニアリング, スウィフト・エックスアイ
井植歳男三洋電機創業者、むめのの弟)

主著
詳しくは松下幸之助.comを参照。
発行部数は、特記なきものはPHP研究所の発表による全てのバージョンの累計部数。出版社と発行年月は、最初に出版された際のものを記載。一部の書籍は後に他社から出版されている。
PHPのことば』(PHP研究所甲鳥書林、1953年4月) - 一般向けで初の著作
『私の行き方 考え方』(甲鳥書林、1954年6月) - 52万部
『仕事の夢・暮しの夢』(実業之日本社、1960年2月) - 29万部
『物の見方 考え方』(実業之日本社、1963年4月) - 86万部
『なぜ』(文藝春秋、1965年5月) - 31万部
『若さに贈る』(講談社、1966年4月) - 34万部
『道をひらく』(PHP研究所、1968年5月) - 520.0万部。カラーテレビの景品として頒布された大阪万博松下館タイムカプセルの模型にも、数cm角の豆本にされ内蔵されている
『一日本人としての私のねがい』(実業之日本社、1968年10月) - 32万部
『思うまま』(PHP研究所、1971年1月) - 30.6万部
『その心意気やよし』(PHP研究所、1971年7月) - 35.6万部
『人間を考える―新しい人間観の提唱―』(PHP研究所、1972年8月) - 26.0万部。幸之助は書き終えたとき「自分は結局このことが言いたかったのだ。自分の考え方の根本はこれに尽きる」とさえ思った
『商売心得帖』(PHP研究所、1973年2月) - 90.3万部
『経営心得帖』(PHP研究所、1974年7月) - 46.9万部
『社員稼業』(PHP研究所、1974年10月) - 26.1万部
『崩れゆく日本をどう救うか』(PHP研究所、1974年12月) - 62.1万部道は無限にある―きびしさの中で生きぬくために―』(PHP研究所、1975年5月) - 38.2万部指導者の条件』(PHP研究所、1975年12月) - 99.6万部
『素直な心になるために』(PHP研究所、1976年9月) - 68.1万部
『私の夢・日本の夢 21世紀の日本』(PHP研究所、1977年1月) - 31.2万部
『続・道をひらく』(PHP研究所、1978年1月) - 32.8万部
『実践経営哲学』(PHP研究所、1978年6月) - 45.5万部
『決断の経営』(PHP研究所、1979年3月) - 25.4万部
『人を活かす経営』(PHP研究所、1979年9月) - 32.3万部
『経営のコツここなりと気づいた価値は百万両』(PHP研究所、1980年3月) - 28.2万部
『社員心得帖』(PHP研究所、1981年9月) - 58.6万部
『人生心得帖』(PHP研究所1984年9月) - 54.6万部
『人生問答』(上・中・下)(共著:松下幸之助池田大作潮出版社

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『「和を以て貴し」とする平和愛好の精神』 松下幸之助一日一話 より

3月10日  日本の伝統精神
私は日本の伝統精神はきわめてすぐれたものだと思います。ではその伝統精神とは何か。
その一つは「和を以て貴し」とする平和愛好の精神です。およそ千四百年も前に、この「和」の精神が聖徳太子によって掲げられています。
第二は「衆知を以て事を決す」という、つまり民主主義です。古事記にも八百万の神々が相談して事を決したとあります。日本は真の民主主義の本家本元だと言えるでしょう。
第三は「主座を保つ」。古来日本人は常に主座を失わずに外来のものを消化吸収し、日本化してきました。この和、衆知、主座という三つの柱を守っていくことは、今後においても大切なのではないのでしょうか。

 

松下幸之助一日一話 より


松下幸之助のプロフィール
松下 幸之助(まつした こうのすけ、1894年〈明治27年〉11月27日 - 1989年〈平成元年〉4月27日)は、日本の実業家、発明家、著述家。
パナソニック(旧社名:松下電気器具製作所、松下電器製作所、松下電器産業)を一代で築き上げた経営者である。異名は「経営の神様」。
その他、PHP研究所を設立して倫理教育や出版活動に乗り出した。さらに晩年は松下政経塾を立ち上げ、政治家の育成にも意を注いだ。

小学校 4年で中退,大阪に奉公に出る。
1910年大阪電灯の見習い工員となり,関西商工学校夜間部で学ぶ。1918年独立して小さなソケット製造所の松下電気器具製作所を設立。
1923年自転車用電池ランプを開発,その後も電気アイロン,ラジオなどを開発してしだいに事業を拡張し,
1933年大阪の門真に本店,ラジオ工場,乾電池工場を設立。このとき早くも事業部制を取り入れている。1935年株式会社に改組して松下電器産業(2008年パナソニックに改称)を設立。
第2次世界大戦中は軍需生産も行なったが,戦後は民需に転換。
1952年オランダのフィリップスと提携し合弁会社松下電子工業を設立。独特の経営理念と経営手腕により事業を飛躍的に拡充させ,業界随一の販売力を誇るにいたった。傘下に数多くの子会社,関連会社があり,それら企業の社長,会長などを務めたが,
1973年松下電器産業の会長を辞任して経営の第一線から身をひいた。
1946年 PHP研究所,1979年松下政経塾創設。

◆栄典・栄誉
位階勲等 - 正三位勲一等旭日桐花大綬章(それ以前に、勲一等瑞宝章紺綬褒章藍綬褒章)。
爵位 - マレーシアタン・スリ(伯爵相当)。
その他、オランダ経済提携親善功績章受章。
創設に関わった賞としては「日本国際賞」など。
称号 - 和歌山市名誉市民(1960年)、門真市(初)名誉市民(1964年)、明日香村名誉村民(1974年)、早稲田大学名誉博士(Doctor of Laws)、同志社大学名誉学位

生誕和歌山県海草郡和佐村千旦ノ木(現:和歌山市禰宜
死没1989年4月27日(94歳没)大阪府守口市
国籍 日本
職業 創業者松下電器産業, 実業家、発明家
配偶者 むめの
子供 幸子(長女)
親戚
松下正治(実業家、幸子の夫)
松下正幸(パナソニック副会長、孫)
松下弘幸(レーシングドライバー、孫) 代表取締役会長 スウィフト・エンジニアリング, スウィフト・エックスアイ
井植歳男三洋電機創業者、むめのの弟)

主著
詳しくは松下幸之助.comを参照。
発行部数は、特記なきものはPHP研究所の発表による全てのバージョンの累計部数。出版社と発行年月は、最初に出版された際のものを記載。一部の書籍は後に他社から出版されている。
PHPのことば』(PHP研究所甲鳥書林、1953年4月) - 一般向けで初の著作
『私の行き方 考え方』(甲鳥書林、1954年6月) - 52万部
『仕事の夢・暮しの夢』(実業之日本社、1960年2月) - 29万部
『物の見方 考え方』(実業之日本社、1963年4月) - 86万部
『なぜ』(文藝春秋、1965年5月) - 31万部
『若さに贈る』(講談社、1966年4月) - 34万部
『道をひらく』(PHP研究所、1968年5月) - 520.0万部。カラーテレビの景品として頒布された大阪万博松下館タイムカプセルの模型にも、数cm角の豆本にされ内蔵されている
『一日本人としての私のねがい』(実業之日本社、1968年10月) - 32万部
『思うまま』(PHP研究所、1971年1月) - 30.6万部
『その心意気やよし』(PHP研究所、1971年7月) - 35.6万部
『人間を考える―新しい人間観の提唱―』(PHP研究所、1972年8月) - 26.0万部。幸之助は書き終えたとき「自分は結局このことが言いたかったのだ。自分の考え方の根本はこれに尽きる」とさえ思った
『商売心得帖』(PHP研究所、1973年2月) - 90.3万部
『経営心得帖』(PHP研究所、1974年7月) - 46.9万部
『社員稼業』(PHP研究所、1974年10月) - 26.1万部
『崩れゆく日本をどう救うか』(PHP研究所、1974年12月) - 62.1万部道は無限にある―きびしさの中で生きぬくために―』(PHP研究所、1975年5月) - 38.2万部指導者の条件』(PHP研究所、1975年12月) - 99.6万部
『素直な心になるために』(PHP研究所、1976年9月) - 68.1万部
『私の夢・日本の夢 21世紀の日本』(PHP研究所、1977年1月) - 31.2万部
『続・道をひらく』(PHP研究所、1978年1月) - 32.8万部
『実践経営哲学』(PHP研究所、1978年6月) - 45.5万部
『決断の経営』(PHP研究所、1979年3月) - 25.4万部
『人を活かす経営』(PHP研究所、1979年9月) - 32.3万部
『経営のコツここなりと気づいた価値は百万両』(PHP研究所、1980年3月) - 28.2万部
『社員心得帖』(PHP研究所、1981年9月) - 58.6万部
『人生心得帖』(PHP研究所1984年9月) - 54.6万部
『人生問答』(上・中・下)(共著:松下幸之助池田大作潮出版社

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「社員には企業のビジョンを明示せよ。そうすれば社員は自主的に自分の頭と足を動かして役割を果たすようになる。」リョービ社長 浦上浩

☆彡今日の一言

「社員には企業のビジョンを明示せよ。そうすれば社員は自主的に自分の頭と足を動かして役割を果たすようになる。」

 

 創業者である父親の急逝があって、社長の座に就いたのが1972年36歳であった。

「一般に創業者がそうであるように、父もまたカリスマ的経営者でした。しかし、私はパワーで引っ張っていくようなタイプではありません」

 

浦上浩が掲げたスローガンは「積極果敢」。経営の多角化、海外展開を次々に推し進めたこの人は企業の指針を明確に社内へ周知させていることを重視する。

 社員が積極的になれるという見解から。

社外的には、異業種の経営トップなどとの交流に意欲的。

「会社の経営の方向付けをする責任からも自分の視野を広げる必要がある。」

 

リョービ社長 浦上浩

東京生まれ 慶応義塾大学卒 スポーツマンである。

ゴルフはシングル。スキューバダイビングはパラオサイパン沖縄に出向く。

 

 

以上は竹内均著「成功への名語録366日」より一部抜粋&加筆

 

 

 

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「人生はあなたが描いたとおりになる」マーフィーの言葉より 求めよさらば与えられん。マタイ伝7-7

マーフィーの言葉に「人生はあなたが描いたとおりになる」というのがあります。

 

人間の心には「潜在意識」というものがあります。

 

 具体的な目標を持つだけで「潜在意識」が活発に働き始めるのです。

 

あなたの中にある「無限の力」が目覚め、解き放たれるのです。

あなたの目標が

「3年以内に試験に合格する」「次のテストでは80点以上取る」という風に具体的であればあるほど達成する可能性は大幅に上がります。

 

「あなたの願望を心に描いたらそれは実現する」これはウォルトディズニーの言葉です。

 

ウォルトディズニーには大した学歴はありません。

枯葉15歳から列車の売り子や、郵便配達、など様々な職を転々としていました。

 

ウォルトディズニーが世界的な成功者になれた最大の原因は「大きな夢を心に描いた」からです。

 

私たちは人生で怒る出来事に対して、大別すると二通りのとらえ方をします。

 

①希望をもって楽天的にとらえる。

 

②絶望して悲観的にとらえる。

 

夢や希望を心に描いた方がはるかに充実した人生になることは間違いありません。

 

 一方ゲーテは「どんなことでも、絶望よりは希望を持つ方がはるかに良い」と言っています。

 

ウォルトディズニーゲーテもストレートな表現ですが成功への秘訣はまさにここにあるのです。

 

あなたの心のキャンパスには明るく、清らかで誰もが見たくなるような楽しい絵を描くようにしましょう。

 

そして、それを実現すべく、具体的な目標を作りましょう!

 

そうすれば、あなたの中に眠っている「無限の力」が目覚めるはずです。

 

求めよさらば与えられん。マタイ伝7-7

 

Good Luck!! 幸運を祈ります! おきばりやす。

 

 

 

《愛蔵版》図解 マーフィー奇跡の成功ノート

《愛蔵版》図解 マーフィー奇跡の成功ノート

 

 以上は 植西聡著「マーフィー奇跡の成功ノート」より一部抜粋&加筆

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