サクセス・ハッピーロード・自己啓発専科

日常生活やビジネスにおける処世術やヒント等を通して幸せ体質になることを目指している自己啓発・開運ブログです。

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『「和を以て貴し」とする平和愛好の精神』 松下幸之助一日一話 より

3月10日  日本の伝統精神
私は日本の伝統精神はきわめてすぐれたものだと思います。ではその伝統精神とは何か。
その一つは「和を以て貴し」とする平和愛好の精神です。およそ千四百年も前に、この「和」の精神が聖徳太子によって掲げられています。
第二は「衆知を以て事を決す」という、つまり民主主義です。古事記にも八百万の神々が相談して事を決したとあります。日本は真の民主主義の本家本元だと言えるでしょう。
第三は「主座を保つ」。古来日本人は常に主座を失わずに外来のものを消化吸収し、日本化してきました。この和、衆知、主座という三つの柱を守っていくことは、今後においても大切なのではないのでしょうか。

 

松下幸之助一日一話 より


松下幸之助のプロフィール
松下 幸之助(まつした こうのすけ、1894年〈明治27年〉11月27日 - 1989年〈平成元年〉4月27日)は、日本の実業家、発明家、著述家。
パナソニック(旧社名:松下電気器具製作所、松下電器製作所、松下電器産業)を一代で築き上げた経営者である。異名は「経営の神様」。
その他、PHP研究所を設立して倫理教育や出版活動に乗り出した。さらに晩年は松下政経塾を立ち上げ、政治家の育成にも意を注いだ。

小学校 4年で中退,大阪に奉公に出る。
1910年大阪電灯の見習い工員となり,関西商工学校夜間部で学ぶ。1918年独立して小さなソケット製造所の松下電気器具製作所を設立。
1923年自転車用電池ランプを開発,その後も電気アイロン,ラジオなどを開発してしだいに事業を拡張し,
1933年大阪の門真に本店,ラジオ工場,乾電池工場を設立。このとき早くも事業部制を取り入れている。1935年株式会社に改組して松下電器産業(2008年パナソニックに改称)を設立。
第2次世界大戦中は軍需生産も行なったが,戦後は民需に転換。
1952年オランダのフィリップスと提携し合弁会社松下電子工業を設立。独特の経営理念と経営手腕により事業を飛躍的に拡充させ,業界随一の販売力を誇るにいたった。傘下に数多くの子会社,関連会社があり,それら企業の社長,会長などを務めたが,
1973年松下電器産業の会長を辞任して経営の第一線から身をひいた。
1946年 PHP研究所,1979年松下政経塾創設。

◆栄典・栄誉
位階勲等 - 正三位勲一等旭日桐花大綬章(それ以前に、勲一等瑞宝章紺綬褒章藍綬褒章)。
爵位 - マレーシアタン・スリ(伯爵相当)。
その他、オランダ経済提携親善功績章受章。
創設に関わった賞としては「日本国際賞」など。
称号 - 和歌山市名誉市民(1960年)、門真市(初)名誉市民(1964年)、明日香村名誉村民(1974年)、早稲田大学名誉博士(Doctor of Laws)、同志社大学名誉学位

生誕和歌山県海草郡和佐村千旦ノ木(現:和歌山市禰宜
死没1989年4月27日(94歳没)大阪府守口市
国籍 日本
職業 創業者松下電器産業, 実業家、発明家
配偶者 むめの
子供 幸子(長女)
親戚
松下正治(実業家、幸子の夫)
松下正幸(パナソニック副会長、孫)
松下弘幸(レーシングドライバー、孫) 代表取締役会長 スウィフト・エンジニアリング, スウィフト・エックスアイ
井植歳男三洋電機創業者、むめのの弟)

主著
詳しくは松下幸之助.comを参照。
発行部数は、特記なきものはPHP研究所の発表による全てのバージョンの累計部数。出版社と発行年月は、最初に出版された際のものを記載。一部の書籍は後に他社から出版されている。
PHPのことば』(PHP研究所甲鳥書林、1953年4月) - 一般向けで初の著作
『私の行き方 考え方』(甲鳥書林、1954年6月) - 52万部[20]
『仕事の夢・暮しの夢』(実業之日本社、1960年2月) - 29万部[21]
『物の見方 考え方』(実業之日本社、1963年4月) - 86万部[20]
『なぜ』(文藝春秋、1965年5月) - 31万部[21]
『若さに贈る』(講談社、1966年4月) - 34万部[21]
『道をひらく』(PHP研究所、1968年5月) - 520.0万部[22]。カラーテレビの景品として頒布された大阪万博松下館タイムカプセルの模型にも、数cm角の豆本にされ内蔵されている
『一日本人としての私のねがい』(実業之日本社、1968年10月) - 32万部[21]
『思うまま』(PHP研究所、1971年1月) - 30.6万部[22]
『その心意気やよし』(PHP研究所、1971年7月) - 35.6万部[22]
『人間を考える―新しい人間観の提唱―』(PHP研究所、1972年8月) - 26.0万部[22]。幸之助は書き終えたとき「自分は結局このことが言いたかったのだ。自分の考え方の根本はこれに尽きる」とさえ思った
『商売心得帖』(PHP研究所、1973年2月) - 90.3万部[22]
『経営心得帖』(PHP研究所、1974年7月) - 46.9万部[22]
『社員稼業』(PHP研究所、1974年10月) - 26.1万部[22]
『崩れゆく日本をどう救うか』(PHP研究所、1974年12月) - 62.1万部[22]
『道は無限にある―きびしさの中で生きぬくために―』(PHP研究所、1975年5月) - 38.2万部[22]
『指導者の条件』(PHP研究所、1975年12月) - 99.6万部[22]
『素直な心になるために』(PHP研究所、1976年9月) - 68.1万部[22]
『私の夢・日本の夢 21世紀の日本』(PHP研究所、1977年1月) - 31.2万部[22]
『続・道をひらく』(PHP研究所、1978年1月) - 32.8万部[22]
『実践経営哲学』(PHP研究所、1978年6月) - 45.5万部[22]
『決断の経営』(PHP研究所、1979年3月) - 25.4万部[22]
『人を活かす経営』(PHP研究所、1979年9月) - 32.3万部[22]
『経営のコツここなりと気づいた価値は百万両』(PHP研究所、1980年3月) - 28.2万部[22]
『社員心得帖』(PHP研究所、1981年9月) - 58.6万部[22]
『人生心得帖』(PHP研究所1984年9月) - 54.6万部[22]
『人生問答』(上・中・下)(共著:松下幸之助池田大作潮出版社

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