サクセス・ハッピーロード・自己啓発専科

日常生活やビジネスにおける処世・仕事術やヒント等を通して幸せ体質になることを目指している自己啓発・開運ブログです。

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「私は身体に宝石を持っている」6月13日は山田邦子さんの誕生日です。

 山田邦子さんは2007年4月乳がんが発覚。

 

山田邦子さんは乳がんの経験を「財産」だといいます。

 

死んでしまうかもと思っていた彼女はファンの人や乳がんになってからできた患者仲間からも手紙をもらい、とても支えになったそうです。

 

明るいキャラクターの山田邦子さんにもアクシデントは起こる。

 

 でもね♪~ 大丈夫! 

アクシデントはいつも新しい出会いをセットにしてくれるんです。

 

がんは山田邦子さんにまだ見ぬファンに会わせてくれました。

 

癌になったことでこれまでとは違った人と共感を持ち、山田邦子さんはまた違った人生観を持つことができたのです。

 

「ちゃんと寝てる? 体に爆弾を抱えてるから、大切にしなさいよ」と家族は時々電話をくれます。

 

爆弾…身体に病気を乗り越えた記憶があることは、今が当たり前じゃないことを思い出させてくれる。

 

私は今度から「身体に宝石を持っている」と言おうと思います。

 

 

ザ・バースデー 365の物語<1月〜6月>

ザ・バースデー 365の物語<1月〜6月>

 

 

以上は ひすいこたろう+藤沢あゆみ著「ザ★バースデー365の物語」より一部抜粋


山田邦子プロフィール
山田 邦子(やまだ くにこ、1960年〈昭和35年〉6月13日 - )は、日本のお笑いタレント、女優、司会者、小説家である。戸籍名、後藤 邦子(ごとう くにこ)。旧姓、山田。愛称は邦ちゃん。太田プロダクション所属。

 

乳がん発覚後
2007年4月、『最終警告!たけしの本当は怖い家庭の医学 スペシャル』(ABCテレビ)にゲスト出演。同番組内での乳癌自己検診の際、胸に違和感を覚え、その後正式に乳癌が左右の胸にあることが発覚する。聖路加国際病院の乳腺外科(ブレストセンター)にて2回の手術を経て癌を全て摘出した。

同年6月、『最終警告!たけしの本当は怖い家庭の医学』レギュラー放送に出演し、乳がん摘出手術を済ませたことを告白。

この乳癌罹患をきっかけにして、タレント活動の傍ら、がんに関わる啓蒙活動に積極的に参加するようになり、2008年4月には癌に対する知識と理解を呼びかけるチャリティー団体「スター混声合唱団」を鳥越俊太郎らと結成。

2008年から2010年まで厚生労働省「がんに関する普及啓発懇談会」委員を務める。2009年、NPO法人「リボン運動 がんの薬を普及する会」を結成し、代表理事に就任。同年3月にはNPO法人「キャンサーリボンズ」のシンボルソング『あなたが大切だから』を作詞・作曲した。

 

山田邦子の日
9(く)・2(に)・5(こ)=「邦子」と読む語呂合わせから、2015年9月25日、一般社団法人日本記念日協会は9月25日を「山田邦子の日」と認定した。
9月25日を記念日として申請したのは山田と親交がある丸藤正道の後援会長で、ピンクリボン乳がん検診啓発運動)のチャリティーイベントとしての役割も担っている

 

出身地  日本・東京都板橋区
血液型 B型
身長 168cm
最終学歴 川村短期大学家政科(現:生活学科)
芸風 漫談 物真似 コント

配偶者 後藤史郎(2000年 - )

受賞歴
1982年 第10回 日本放送演芸大賞 ホープ
1983年 第11回 日本放送演芸大賞 ホープ
1983年 第3回 花王名人大賞 新人賞
1984年 第12回 日本放送演芸大賞 ホープ
1985年 第13回 日本放送演芸大賞 敢闘賞
1989年 平成元年度 ゆうもあ大賞 大賞
1990年 第27回 ゴールデン・アロー賞 芸能賞
1990年 第13回 日本アカデミー賞 新人俳優賞
1992年 日本女性放送者懇談会賞
2010年 日本釣用品工業会選定 ロイヤルアングラー賞 芸能部門

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6月12日は松井 秀喜さんの誕生日です。「努力は才能」と「好きなものと出合って好きでい続けること」

 松井さんのお父さんはたまたまテレビを見ていて「努力は才能」という言葉を聞いていい言葉だなぁと思い、

 

半紙に、「努力できることが才能である」と書いて、当時小学校3年生だった松井秀樹さんに渡しました。

 

秀樹さんの机の上にはずっとその半紙が貼ってあったそうです。


 更に松井さんの言葉に「好きなものと出合って好きでい続けること」というのがあります。

 

好きでい続ければ、この先いくらでもチャンスはある。

 

好きなものを好きでい続ければ、いつか才能は芽吹く。


そしてその言葉と文字通り向き合って来たのです。

 

 最後に好きでい続けるための秘訣をお伝えいたしましょう。

 

それは「誰かに喜ばれることです。」

 

喜ばれるとうれしい。これは他の動物にはない、人間だけが持つ本能だそうですから。

喜ばれれば喜ばれるほど人はそれを好きになります。

 

 

ザ・バースデー 365の物語<1月〜6月>

ザ・バースデー 365の物語<1月〜6月>

 

 以上は ひすいこたろう+藤沢あゆみ著「ザ★バースデー365の物語」より一部抜粋

 

松井 秀喜プロフィール

松井 秀喜(まつい ひでき、1974年6月12日 - )は、石川県能美市出身の元プロ野球選手(外野手)。右投左打。現役引退後はニューヨーク・ヤンキースGM特別アドバイザーを務める。血液型はO型。
1990年代から2000年代の球界を代表する長距離打者で、日本プロ野球(以下:NPB)では読売ジャイアンツメジャーリーグベースボール(以下:MLB)ではニューヨーク・ヤンキースなどで活躍した。2012年引退。2013年には国民栄誉賞を受賞。愛称は「ゴジラ」。

高校3年、夏の甲子園は2回戦の明徳義塾高校戦で敗退。この試合で松井が受けた5打席連続敬遠は、高野連が急遽記者会見を開くなど、社会問題にまで発展した。明徳義塾監督の馬淵史郎は試合後、「(星稜の練習を見て)高校生の中に一人だけプロの選手が混じっていた」とコメントしている。

 

☆彡力や知性ではなく、地道な努力こそが能力を解き放つ鍵である。

Continuous effort – not strength or intelligence – is the key to unlocking our potential.
ウィンストン・チャーチル(英国の政治家、ノーベル文学賞受賞 / 1874~1965)

6月11日はライバルに感謝する記念日!?

 プロ4年目の江夏豊は1970年、6月11日の対ジャイアンツ戦に、「節目の三振は王から」と、中1日で先発登板。このとき、積み上げた記録は994奪三振。快挙達成は、目前に迫っていた。

 

「オレがオレであることを確かめたかった」と江夏は語っていた。

 

「村山さんは長嶋さんに向かう時ロマンチストになった。それなら自分は王さんに対してプライドを武器にしよう」と思ったと語っていた。

 

「敬意と感謝を持って打ちのめす」ということではなかろうか。

 

 はたして王には2本の本塁打を被弾。第1打席でライトスタンド、第2打席でも右中間スタンドに打球を放り込まれた。さらに第3打席でもヒットを許し、第4打席ではセカンドゴロに打ち取ったものの、王での快挙達成とはいかなかった。

 

この日、王貞治は2ホーマーを放ち、江夏豊を粉砕しました。

 

自分の全存在をかけて勝負したいと思える相手がいる人は幸せです。

 

あいつには負けたくないと思って努力する時間、それはとても贅沢な時間です。なぜならその時あなたは劇的に進化しているからです。

 

「強敵」と書いて「友(とも)」と読むのもいいですね。《漫画「北斗の拳」より》

 

 

 

ザ・バースデー 365の物語<1月〜6月>

ザ・バースデー 365の物語<1月〜6月>

 

 以上は ひすいこたろう+藤沢あゆみ著「ザ★バースデー365の物語」より一部抜粋

 

因みに1000奪三振は1970年7月2日、対大洋ホエールズ12回戦(川崎球場)、7回裏に重松省三から奪った。 ※史上38人目


★江夏 豊(えなつ ゆたか、1948年5月15日 - )は、兵庫県尼崎市出身(奈良県吉野郡生まれ)の元プロ野球選手(投手)、解説者・評論家。
日本記録であるシーズン401奪三振、最優秀救援投手5回などを記録。オールスター9連続奪三振江夏の21球を演出し、1960年代後半から1980年代前半にかけて日本プロ野球で活躍。

 

★王 貞治(おう さだはる、1940年5月20日 - )は、東京府東京市本所区生まれ、プロ野球選手・監督。福岡ソフトバンクホークス株式会社取締役会長兼GM日本プロ野球名球会顧問。
世界記録となるレギュラーシーズン通算本塁打868本を記録し、巨人のV9に貢献。国民栄誉賞受賞者第一号であり、2010年には文化功労者として顕彰された。2018年6月1日、一般女性との入籍を発表

◆経歴
●選手歴
早稲田実業学校高等部
読売ジャイアンツ (1959 - 1980)

●監督・コーチ歴
読売ジャイアンツ (1976 - 1988)
福岡ダイエーホークス
福岡ソフトバンクホークス (1995 - 2008)

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人生計画は悲観的に準備して、楽観的に行動せよ 孫子の兵法に学ぶ

孫子の兵法に「将、わが計を聴きて、これを用うれば、必ずかたん」というのがあります。

 

超意訳すると、『時間をじっくりかけて「人生計画」を練りなさい。

 

特にリスクに関してはどんな危険が起こりうるか、どこまでも、悲観的に考えて入念に準備すること。そこまでやればもう目標は達成したも同然である。』

 

せっかちな現代人は「人生計画」にかける時間を「もったいない」と思うかもしれません。

 

しかし、昔から言いますよね、「急がば回れ」と。

 

ここで時間をかけたほうが結局は目標の一番の早道になるのです。

 

 その際に心掛けることは「悲観的に」準備することです。

 

たいていの人は「こんなことは起こらないよね」と「楽観的」に準備するために、不測の事態が乗じたときに、なすすべもなく、転落への道をたどることになります。

 

 そうではなくて、「悲観的」に準備する。これさえやっておけば何が起ころうと大丈夫。

それもこれも「想定内」だよと落ち着いて対応できます。

結果的に、「自分は勝つ」という自信が内側からにじみ出てくるわけです。


「備えあれば憂・患いなし」です。

 

 

 

以上は 田口佳史著 「孫子の兵法」より一部抜粋&加筆


稲森和夫氏はさらに進化しています。


◆夢と希望は超楽観的に、悲観的に構想を練り、楽観的に明るく堂々と実行せよ!


新しいことを成し遂げるには、まず「こうありたい」という夢と希望をもって、超楽観的に目標を設定することが何よりも大切です。

 

しかし、計画の段階では、「何としてもやり遂げなければならない」という強い意志をもって悲観的に構想を見つめなおし、起こりうるすべての問題を想定して対応策を慎重に考え尽くさなければなりません。

 

そうして実行段階においては、「必ずできる」という自信をもって、楽観的に明るく堂々と実行していくのです。

 


Good Luck!! 幸運を祈ります! おきばりやす。

 

★稲盛 和夫(いなもり かずお、1932年(昭和7年)1月21日 - )は、日本の実業家。京セラ・第二電電(現・KDDI)創業者。公益財団法人稲盛財団理事長。日本航空名誉会長。

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